観音寺

観音寺について

観音寺のある上富田町生馬は東西約四キロと非常にながい谷があり、県道朝来市鹿野線が国道311号と分岐して市鹿野へ通じている。観音寺はこの沿線生馬の中枢地に位置しており、参道は百四十一のきざはし、頂上の高台山腹にひらけ自然の環境の恵まれた静かなみどりの浄域にある寺で、景勝絶景参道石段と境内全山がサツキに埋もれり、近年さつき寺として広く知られる。

又、牟婁西国(近西国)三十三所観音霊場 第十二番の札所となる観音寺は富田川筋で只一ヶ寺の「浄土宗」の寺である。

  • 名 称
    大貴山 観音寺
  • 位 置
    和歌山県西牟婁郡上富田町生馬一九七七番地 
  • 所属宗派
    浄土宗 本派 総本山京都知恩院
  • 寺 班
    和歌山教区 西牟婁組 寺院No.191
  • 宗 祖
    法然上人(源空)1133年〜1212年
  • 本 尊
    十一面観世音菩薩
  • 教 え
    阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、
    人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、
    お浄土に生まれる事を願う。
  • お 経
    お釈迦様がお説きになった「無量寿経」「観無量寿経」
    「阿弥陀経」の三部経をよりどころとします。

沿革

創建

当山の草創は永享四年(一四三二年)に「善知坊」が当山を創建し、その後生馬城(別名蛇喰城)主の山本権之丞が「菩提寺」として建立されました。 元和二年(一六一六年)に改宗されたが永享二年(一六八五年)頃火災により焼失し、元禄六年に再興され、元治二年(一八六五年)五月、第十六世誉弁良上人により当時の姿に改築され、本尊は創建当時のもので木造十一面観音坐像を安置しています。また三宮殿は紀州徳川家三代目の奥方の為の尊碑厨子でした。

本堂について

本堂は生馬城(蛇喰城)主 山本権之丞忠治の菩提寺として元亀天正(一五七〇~一五九二)の頃、建立されたりと云う。その後 貞享年代(一六八四~)に消失し、元禄六年(一六九三)当山中興三鉄和尚 再建す。 以来二百二十年余の星霜を経て、破壤に及びたるに依り、元治二年(一八六五)五月二十八日十六代西山弁良和尚代に再建したるも次第に白蟻に犯され明治四十年六月に十七代花光実円和尚の代に大修繕をする。

平成二十七年三月老朽化のため解体、翌年平成二十八年四月には完成。堂宇、仏具、本尊とも八月には揃い、十一月十三日(日)午前十時より稚児行列後、落慶還座法要が営まれた。

本尊について

観音寺本尊は十一面観世音菩薩で木彫坐像(榧材)。
御丈は一尺四寸(約43cm)。
永享年間の一刀三礼の彫刻にして霊験新たなる尊像也。
蓮台および光背は元禄十四年(1701年)辛巳 吉辰 檀主敬白
京大仏師法橋如水作 願主 第二世誓誉 西庄屋 内田与茂左衛門山際敬助

昭和63年10月12日
上富田町教育委員会より上富田町文化財保護条例により町文化財に指定される。

荘厳品・仏像のご案内

画像をクリックすると拡大します

  • 阿弥陀如来像阿弥陀如来像
  • 宮殿宮殿
  • 善導大師像善導大師像
  • 法然上人像法然上人像
  • 尊碑厨子尊碑厨子
  • 聖徳太子像聖徳太子像
  • 大日如来像大日如来像
  • 四天王像四天王像

境内のご案内

画像をクリックすると拡大します

  • さつき(別名さつき寺の由来)

    さつき(別名さつき寺の由来)

    当山は、四季折々の変化に富み、山を背にし、自然環境に恵まれた地にあり、別名「さつき寺」と呼ばれています。由来は江戸時代末期、第十六世誉弁良上人が前本堂の新築と共に石段の両側・境内・稲荷社の周辺に植えられ、当初は六百株のさつきが境内に植えられたのが始まりで、毎年この五月末には多くの花見参拝客で賑わい観光名所になっています。

  • 鐘楼堂

    お寺の過去を表す書物によりますと、観音寺が浄土宗に改宗になってから駿府(今の静岡)より釣り鐘のご寄進があり、観音寺鐘楼堂が建立されたのはこの頃と考えられる。この頃とは、江戸初期の頃で当時の掛川城主(徳川家康二十神将の一人)安藤直次(1555-1635)が田辺城主として入城した以後のこと。 後、明治二十一年十六代西山弁良和尚代に再建す。吹抜建三坪、柱材は寺山の松の木を使用  近年風雨にさらされ、屋根等腐朽の為、平成三十年解体移設後、現在の位置に新築(後工務店)

    鐘楼堂 鐘楼堂
  • 稲荷神社 稲荷神社

    稲荷神社

    観音寺第十六世誉弁良上人は安政七年(一八六十年)に至極の大病にかかり、稲荷明神により九死に一生を得て全快することが出来ました。その後、文久三年(一八六三年)、当観音寺本堂再建のため当時檀家の招請に依って転住し、慶応三年卯年(一八六七年)に創建しました。稲荷神と熊野大権現が祀られ、現在まで長い間守護神として檀家の皆さんに見守られています。拝殿は昭和九年(一九三四年)に光誉代に創建されました。

  • 延命地蔵
    延命地蔵

    延命地蔵

    延命地蔵尊の起源は浅く、石像は昭和二十八年六月建立 これは、観音寺山田ヱイと世話人等が、戦争による供出で寺に鐘が還ってくる事を延命地蔵菩薩に祈願するために、又、我々の生活の安全祈願の成就を願って建立したものです。 昭和三十三年鐘楼が還ってきたので、昭和三十八年に堂宇が完成、 正月二十五日上棟 十九世光誉一雄代 平成二十九年頃老朽化(野地板腐食等)の為 平成三十年鐘楼堂とともに解体し、庭園内に移転 開眼す 二十一世現誉一光代 令和元年時点で堂宇は未完成 皆さまのご寄進をお願い致します。

    延命地蔵
    延命地蔵
    延命地蔵
  • 水子地蔵

    水子地蔵

    水子となった子供たちを、父母に代わって守り、救いを与えるのが「水子地蔵尊」です。 いのちを受け、この世に生まれる運命にありながら不運にも生を受けられなかった子、事故や病気の為にこの世を去ってしまった子、このような不幸な我が子の安らかな笑顔と幸せを願うのは、人の親の心情です。 この子たちは、賽の河原で鬼どもにいじめられ、「父恋し、母恋し。」と泣いていると言われております。 その子供たちを、現世の父母に代わりお守り下さるのが「水子地蔵尊」であり、当山の地蔵尊も鬼から逃れるように地蔵尊にしがみつき地蔵尊に守られている、まさにその姿を現しております。地蔵尊にお参りされる、そのお気持ちだけでも子供たちにとっての御供養となります。 地蔵様にあなた様の心を託してお参りいただき、この世で生を全う出来なかったお子さまの御供養をなさり、仏縁を結ばれる事をおすすめいたします。 毎年4月24日地蔵会の時に○○家水子一切精霊菩提の為と弔っています。宗旨宗派問わず毎年大勢の方々がお参りくださいます。

  • 鬼瓦鬼瓦

    鬼瓦

    本堂向かって右の鬼瓦には第二十世法誉俊雄上人の名で「為 観音寺歴代諸上人荘厳浄土」、左の鬼瓦には第二十一世現誉一光の名で「為 観音寺檀家各家先祖代々精霊菩提」と刻んでいる。

  • 手水鉢手水鉢

    手水鉢

    お寺の過去を表す書物に記されている、150年前に観音寺の本堂建て替えに伴い新調された手水鉢が現存しますが、損傷が著しく現在は庭の隅に置かれています。 現在の手水鉢は平成30年末に鐘楼堂の新築に伴い、谷本石材店様の寄進により鐘楼堂のそばに設置されたものです。

  • 庭園庭園

    庭園

    境内に有ります延命地蔵堂および鐘楼堂の腐朽による雨漏れがひどくなり、建て替えが必要になったこと、駐車場拡大による移築等の理由により、庭園のさつき等の花の場所が少なくなりました。 さつき鑑賞の御来寺の方には残念ですが、駐車場が格段に増え、本堂前と往来の駐車場を合わせまして十数台は常時停車できるようになり、便利になりました。